「未完成の完成」を生きるレオナルド・ダ・ヴィンチ
◆「倦怠より死を」との言葉は、希代の努力精励の人でもあったことを物語っております。「最後の晩餐」の制作中など、日の出から夜遅くまで、飲まず食べずで仕事に没頭しているかと思うと、三日も四日も絵に手をつけずに、行きつ戻りつ思索にふけり続けることもあったといいいます。この、すさまじいばかりの集中力。にもかかわらず、こうした創作への執念とは裏腹に、レオナルドの創作で完成されたものは、周知のように、ごく少ない。絵画においても、極端な寡作のうえ、そのほとんどが、未完成のままなのであります。
◆「万能の天才」らしく、そのほかにも彫刻、機械や、武器の製作、土木工事など、驚くべき多芸多才ぶりを発揮しておりますが、見果てぬ夢でしかなかった人力飛行に象徴されるように、おおむねアイデア倒れ、意図倒れに終わっているようであります。
◆特徴的なことは、レオナルドは、それに何ら痛痒は感じないらしく、未完を苦にするのでもなく、未練をもつ様子もなく、恬淡として、他へと念頭を転じてしまうのであります。傍目には未完成に見えてもおそらく彼には、ある意味で完成しているのであり、いわば「未完成の完成」ともいうべき相乗作用であったにちがいないとおもいます。そうでなければ、創作への執念と、おびただしい未完成との落差は、理解に苦しむといえましょう。しかし「未完成の完成」は、同時に「完成の未完成」であったと思います。
◆創作活動とは、絵画や彫刻であれ、工作機器や建築、土木の類であれ、そうした全体性、普遍性の世界を、巨腕を駆使しながら個別性のなかに写し取ってくる創造の営みでありました。すなわち、不可視の世界の可視化であった。従って、いかに完成度を誇る傑作であっても、個別の世界の出来事であるかぎり未完成であることを免れえない。人はそこに安住していてはならず、新たなる完成を目指して「間断なき挑戦」を運命づけられているのであります。
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