型絵染めとは....
『アラブへの思い』
◇1990年8月2日、イラク軍がクウェートに侵攻して湾岸危機が勃発しました。「なぜ今他国へ侵攻しなければならないのか?」そんな疑問からアラブに興味を持つようになりました。
◇当時私は、昼は創作、夜は中学生に勉強を教えるという生活を送っていました。その中の男子生徒が、湾岸情勢に非常に関心を持っていて、勉強の合間に二人でよく討論していました。その彼がある日言った「先生、バグダードってアラビアン・ナイトの町だよね。」この一言が私の創作活動を大きく変えることになったのです。
◇クウェートに侵攻しているイラクの首都バグダードと、アラビアン・ナイトの町バグダードが微塵も結びついていなかった私は、はっとすると同時に「これだ!! 今度のテーマは“アラビアン・ナイト”だ!!」直感しました。アラブをテーマに創作する以上は徹底して取り組もうと思いました。地理・気候に始まり、歴史・民族・宗教・文化・風習・物語・神話等々片っ端から勉強しました。そして知れば知るほどどんどんアラブにのめり込んでゆきました。
◇1995年9月、当時の駐日イラク大使アルカーディ氏の推薦を受けて、イラクで開催された「バビロン国際フェスティバル」に参加、作品展示をしてきました。
以来アラブ6カ国を歩きましたが、その土地その土地での人々とのふれあいや体験が、作家としての私はもちろん、一人の人間としての私にも非常に大きな影響を与えていることは言うまでもありません。
◇イスラエルと国境を接するレバノン南部、ヒズボラ(イスラム教シーア派武装組織)の支配地域へ行ったときに、ヒズボラ系ラジオ局の若者が話しかけてきました。彼は「我々の現状をもっと知ってもらいたい。」そう訴えていました。とても礼儀正しい好青年でした。
◇レバノンの首都ベイルートにある博物館に行ったとき、笑顔のとても素敵な男の子の職員がいました。見学の後博物館近くの食堂で昼食を取っていると、迷彩服の兵士たちがやってきて、その中の一人が話しかけてきました。よく見ると、先ほどネクタイ姿で博物館にいたあの男の子でした。迷彩服を着ている以外、彼らも日本の街角で見かける若い男の子たちと何ら変わりありません。食事を取りながら仲間同士わいわいと楽しそうに話していました。ヒズボラの男の子、迷彩服の男の子、彼らの立ち去る後ろ姿を見送りながら、私はとても切ない気持ちになりました。国が平和でありさえすれば彼らは戦場へ向かうこともなく、自由に今とは全然違う時を過ごせただろうに・・・。後ろ姿を見送らなければならない家族の気持ちはあまりにも悲しすぎます。
◇紛争の様子や銃を持つ兵士たちの姿を見るたびに、彼らのことが思い出されて涙がとめどなく溢れてきます。と同時に、アラブを旅して出会ってきた人々の顔が次から次へと浮かんできます。皆無事でいるのだろうかと。
◇長い歴史の中で積み重ねられてしまった憎しみは、どのようにしても消すことは出来ないのでしょうか。ユダヤ人はローマ帝国に滅ぼされディアスポラ(離散の民)となり世界各地に散らばっていった歴史を持ちます。パレスチナ人は今そのユダヤ人によって難民となってしまっています。過去の歴史の中では共に暮らしていた時期もあります。そして何より両者は互いの痛みを一番わかりあえる立場にあるのではないでしょうか。三大宗教(イスラム教・ユダヤ教・キリスト教)の聖地であるエルサレムを奪い合って争うことがそれぞれの教えに添うことなのでしょうか。理屈を付けて武力攻撃をすることも、自爆テロにはしることも、どちらも同じくらい罪深いことです。いくら血を流しても何も解決しないことを、人はいつになったら気づくのでしょうか。
◇いち、型絵染め作家の私に何ができるわけではありませんが、私の作品をきっかけに少しでも多くの方がアラブ・イスラエル問題に関心を持ってくださればと思います。イスラエルにもアラブにも本当の意味での平和が一日でも早く訪れることを願いながら、これからも創作を続けてゆきます。
2002年5月 型絵染作家 持山香代子