微睡　2003年

人間の内なる音律
◇先史時代から、人々は自身の生存の基底をみつめ、内面深くにある力を引き出し人間の可能性を開いてきた。土によって人間をかたどる事は、生と死に潜む運命的な力、宇宙と合－する生命力を掴むことと切り離せなかった。それは現代人が忘れてしまった個を超える力を、或いは、個の中に全体が含まれるのを覚知する事でもあった。古の人々にとって、森羅万象あらゆるものは循環して関わりを持っていた。
　
◇二元論によって成り立った物質文明のいきづまりを、私達は明らかに見つめている。この道の向こうに今まで経験したことのない底知れぬ闇が待ち受けているかのようだ。文明の臨界点に立って古代のテラコツタの神像を見た時、忘れていた静寂と情熱、魂の奥底を揺さぶる澄明な音律が聞こえてくる。そして、人々が個であって全体でもあった生命の充実、神聖な波動が語りかけてくる。この真の意味での豊かさを現代人は取り戻さなければならないだろう。

◇テラコッタは温かく乾いた色感を持ち、柔らかな曲線が人間の肌の記憶と交差する。そして、低火度で焼成された土の材質は、生きるもののはかなさを内包して美しい。彫刻が塊として空間を支配するなら陶による造形は焼成する上での制約から、内部を空ろにした焼き物としての同一性を残している。テラコツタの作品は、光の中に立ち上がる空間性と、その作品の内部の闇に、見る者を引き込もうとする二重の空間性をもって成立する。
　
◇私はエトルスクから続くテラコッタの人間像の伝統をもったイタリアに暮らし、その技術を習得したのだが、何にも増して、イタリア人の合理主義におかされない職人気質、ユーモアをもって人生を楽しむ楽観主義、キリスト教に裏打ちされた人間主義に共感した。そしてそれは、古代エジプトを源流にした、ギリシャやイタリアなどの地中海沿岸地方の美術のもつ、人間の歓びや豊かさを清朗で燈明に表現した美感と、深い所で繋がっているように感じられた。私はこの純度の高い、様式を持った美質に深く共感すると同時に、東洋に生を受けた私の内面に、ある共通した美意識を見出した。

◇仏教思想においても、人間はあらゆる困難を自己の境涯を高める因として生かし、生老病死という四苦を乗り越え、衆生所遊楽、人生を楽しむ為に生まれてきたという楽観主義がある。そして、善悪の差別を越えて、生命の奥底に尊極の仏性があるとする人間主義があるのだ。イタリアの地で、私のなかの東洋と西洋は結ばれた。そして同時に新たなる人間像を生み出す原点が此処に定まった。
　
◇あらゆる試練を乗り越え、立ちつつも、歩みつつも、座しつつも、生きとし生けるものの安穏を祈り人間の歓喜の音律を奏でることが出来れば、東洋思想であり西洋思想でもある、古代より連綿と続く不変にして普遍性を持った美意識を獲得することだろう。
2003年　大塚　茂吉